はじめに

日本における患者運動の歴史は、戦前の結核や当時らい病と言われたハンセン病の患者収容施設における活動にさかのぼることが出来ます。

戦後それらが療養所において、新薬(抗生物質)による治療、処遇の改善、食料の確保、悪徳職員の告発などになり、やがて全国組織となっていきました。その後リウマチ、心臓病の子供を守る運動、筋ジストロフィー、スモンなどの運動につながり、公害・薬害の社会的な課題へとつながり、難病対策へと発展していきました。その運動が地域へと発展し今日の基礎となっています。この間患者や家族の悲痛な叫びは社会を動かし様々な形でメディアも動かし、日本の社会保障の拡大へとつながりました。

しかしそれらの活動は決して上からのものではなく、この運動を支えたのは、同じ苦しみを味わう人が一人でも少なくなるようにとの、名も無き地域の患者や家族たちの力でした。そういう人たちの生の声や苦闘の記録が苦しい活動の中で発行され続けてきた、団体のニュースや機関誌につづられています。私たちはそこに再び光を当て、その声を世に出すことによって、今の日本の社会保障はどのように形成され、また守られてきたのかを明らかにしたいと思います。上からの歴史ではなく、大根畑の大根たちのように、じっと空を見上げつつ連綿と続けられてきた、患者たちから見た日本の患者運動史を作りたいと思います。

1.日本の患者会

(1)日本の患者会=患者運動の歴史について

日本の患者会のはじまりは、戦中・戦後の結核の療養所とハンセン病の療養所に作られた患者会からといわれています。当時はこれらの疾患は不治の病であり、業病ともいわれ感染が恐れられていました。宗教を基盤とした慈善事業としての一部の療養所以外は、社会防衛的見地から、一般市民からの隔離のために山間僻地や離島などに療養所が設けられていました。治療らしい治療も無く、結核は大気・安静が唯一の治療といわれ、ハンセン病は効果の疑わしい注射と、元気な患者は農作業や工作などに駆り出され、重症の患者の看護をさせられました。

その二つの疾患の患者たちが、戦争が終わり、アメリカには特効薬があると聞き、その治療を求め、また隔離されていた療養所の中で食物の横領や患者を虐待していた職員を追放し、患者会の自治と療養所の解放を訴えて運動を起こしました。それは「人間回復」の運動といわれています。

その二つの患者同盟(「日本患者同盟」と「全国ハンセン氏病患者協議会」:現在は「全国ハンセン病療養所入所者協議会」)の活動の影響は戦後日本の憲法や社会保障の確立にも大きな影響を与えるものでした。(「日本患者同盟40年史」「全患協運動史」長宏著「患者運動」を参照してください。)

やがて日本は高度成長の時代を迎えます。その中でいくつかの難病といわれた疾患の患者会が組織されていきます。高度成長期の日本は多くの公害や医源病を作り出すことになります。熊本県の水俣病や神通川のイタイイタイ病、四日市喘息や後の大腿四頭筋短縮症、未熟児網膜症などが特に有名です。

そして東京オリンピックを迎えたころ、埼玉県の戸田ボート場付近で不思議な病気が集団発生して「戸田病」と呼ばれました。同じような病気が釧路でも現れ「釧路病」と呼ばれました。各地でも発生し、伝染病といわれ、苦痛と差別の中で少なくない患者たちが自ら命を立つという悲劇も起き、マスコミは「難病・奇病」と名づけました。このなぞの病気を当時の厚生省は英語表記の頭文字をとって「SMON」と名づけ、全国組織の研究班をつくりました。この研究班はやがて原因は整腸剤として医師から投与されたキノホルムが原因であることを突き止めるというも大きな成果を挙げました。

そのころ国内では多くの原因も治療法も無い「難病」があることが国会でも大きな問題となり、スモンに習って、基礎研究だけではなく臨床も含めた疾患毎の全国組織の研究班を作ることが決まりました。それが1972年の「難病対策要綱」です。

それらの動きの中で、たくさんの患者団体が生まれ、全国難病団体連絡協議会(全難連)という組織が誕生し、同時に全難連とは組織的な関係を持たず、全国の都道府県に難病団体連絡協議会が続々と誕生しました(地域難病連全国交流会)。やがてその動きに刺激され、長期慢性疾患の患者・家族の団体による全国患者団体連絡協議会(全患連)も誕生しました。後にこの三団体が合併して現在の日本難病・疾病団体協議会(JPA)が生まれました。また2005年に小児慢性特定疾患治療研究事業実施要綱も生まれ、それらの疾患の親たちの会が連帯して「難病のこども支援全国ネットワーク」も誕生しました。

(2)患者団体=患者会の主なパターンについて

会の結成のきっかけや動機はさまざまです。同じ病気の人の経験を聞きたかった、病気のつらさを分かり合える仲間が欲しかった、病気の原因や治療法を知りたい、専門医を紹介して欲しい、自殺や心中をきっかけとして同じ不幸を繰り返さないために社会へ働きかけをしたい、偏見や差別に立ち向かうために社会への働きかけを仲間とともに立ちあがりたい、などなどです。

患者会はこれらのきっかけや動機についてを除いて、その形態をいくつかのパターンに分類することができます。分類については定説は無く、いろいろな方がいろいろ発表していますが、ここではあくまで1972年から患者会に関わってきた者としての経験と観察から、運動の現状からの大まかな分類を紹介します。

  1. 疾患別の患者会
    1. 単一全国組織
    2. 地域組織を持つ全国組織(地域患者会の連合会組織も含めて)
    3. 地域だけの疾患別組織
  2. 地域の患者会
    1. 都道府県連合組織(難病連、難病ネットワークなど)
    2. 疾患全国組織の地域組織(支部など)
      市町村の患者会(連合会を含む)
  3. 機能別(病態別)患者会
  4. 医師、医療機関に付属している患者会(慢性疾患管理を目的としている)
  5. 行政(主に保健所、市町村)主導の患者
  6. 企業(主に製薬企業など)による患者会
  7. その他

(3)組織形態の違いによる形態の違い

  1. 任意団体
  2. 公益法人(財団法人、社団法人)
  3. 特定非営利活動法人(NPO)
  4. 社会福祉法人
  5. 宗教法人

2.患者会の3つの役割

私たちは患者会には三つの役割があるとしてきました。

第一は、自分の病気を正しく知ること です。セルフマネジメントとも通じると思います。

第二は、同じ病気の患者・家族どうしの助け合い です。あるいは同じ地域に住んでいる患者どうしの場合もあります。同じ病気、同じ地域に住んでいるという共通の共感があるからです。患者会の基本ともいえる「共感、共鳴」が基本にあります。ここからピアサポートが生まれます。

第三は、療養の環境の整備を目的とした社会への働きかけ、です。療養環境の整備ともいえると思います。病気を持ちながらも生活していかなければならないという側面も大きいと思いますし、何よりもまずよい医療を受けなければなりません。社会の偏見や差別にも立ち向かわなければなりません。

加えて、最近新たな患者会の役割として、研究への協力や、大きな災害への備えや被災者支援についても患者会の視点からの活動が行われるようになってきました。

2012年2月
伊藤たてお

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