インタビュー

インタビュー一覧

多くの患者・家族の会が作られ、多くの世話役・役員の方々がその役割を担ってきました。ここでは、日本の患者運動の初期の活動を担った方々の生の声を通して当時の困難の実態や活動の様子、さまざまな工夫などの様子を収録し、将来の患者・家族の会の世話役・役員の方々に伝えたいと思います。

  • 聖クリストファー大学大学院看護学研究科 川村佐和子教授

    2018/12/10、愛知県医師会会議室
    【インタビューア:伊藤たてお、永森志織ほか】

    日本に「難病」という言葉がまだなかった1940年代に、スモンの患者会を設立、厚生省(当時)の難病対策要綱策定に関わり、難病患者の「在宅ケア」という用語と概念を浸透させ、難病患者のケアに奔走されてきた川村佐和子先生。これまでの道のりについてお話をお聞きしました。

  • 松本るい氏

    2016/9/16 秋田県大潟村 故松本茂さん宅
    【インタビューア:伊藤たてお】

    故松本茂氏(元日本ALS協会名誉会長、2015年12月に83歳で逝去)の妻
    徐々に体中の筋肉が衰え、いつしか完全に手足が動かなくなり、言葉を発することも食べることもできなくなるのに、脳機能だけは衰えない難病。

  • 日本福祉大学名誉教授 児島美都子氏

    2009/3/25 名古屋市内の児島美都子氏自宅(長ハウス)にて
    【インタビューア:伊藤たてお、永森志織】

    戦後、家族が結核で入院し、織本病院の患者会のボランティアから医療ソーシャルワーカー(MSW)に。病院の給食改善を行ったところ、退院後の患者さんが行く先々の病院で給食、待遇改善を求める患者会を作って活動。その後の患者運動につながって行った。結核回復者の就職や結婚などの社会復帰の支援を行うなどMSWの草分け的存在に。人間裁判と呼ばれた朝日訴訟では日用品調査について証言。その後東京コロニーのソーシャルワーカーとして活躍し、ゼンコロの事務局長となり、その後日本福祉大学で研究の道に入った。

  • 岐阜大学医学教育開発研究センター 藤崎和彦氏

    2009/3/25 岐阜大学医学教育開発研究センター
    【インタビューア:伊藤たてお、永森志織】

    北大医学部の学生だった頃に北海道難病連でボランティアとして活動。医療過疎の地域での難病検診に同行し、エレベーターのない会場で車椅子の患者さんをかついで運んだり、村長さんや保健師さんなどとお酒を飲みながら地域医療について語り合った。現在は全国の医学部をはじめ医療系の先生たちへの医学教育を行っている。

  • 大阪難病連 常務理事・事務局 濤米三氏

    2009/2/23 大阪難病連(大阪府城東庁舎)
    【インタビューア:伊藤たてお、永森志織】

    1971(昭和46)年、30歳で糸球体慢性腎炎を発症。1972年に大阪難病団体連絡協議会が結成され、その約1年後から現在まで事務局の仕事を続けている。難病講座、カラオケ大会、作品展、劇団などユニークな活動を続け、2006(平成18)年より大阪府から難病相談支援センターの委託を受けて運営中。大阪難病センター構想を実現させるのが一番の夢。

  • 京都難病連 元事務局長 加納正雄氏

    インタビュー日:2009年3月24日
    進行役:伊藤たてお

    今、日本の患者会を編纂しているのですが、その中の年表編、資料編についてインタビュー、座談会というのも取り組むことになっていまして、主に古い患者運動の方々にお尋ねして回っています。加納さんが患者会に入った動機、京都難病連の結成などについて教えてください)

  • 全国筋無力症友の会 浅野十糸子氏

    インタビュー日:2009年3月26日
    進行役:伊藤たてお

    大阪難病連あるいは全国筋無力症友の会大阪支部について、結成当時の難病患者を取り巻くいろいろな状況、そういう中でどうして患者会を作ることになったか等を教えてください。

  • 岐阜県難病連 会長 松田之利氏・岐阜県難病連 事務局長 安藤晴美氏

    インタビュー日:2009年6月25日
    進行役:伊藤たてお

    ここは岐阜県難病連とか難病相談支援センターという名称ではなく、全国で唯一、生きがいサポートという名称になっています。同じものです。

  • インタビュー編資料

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