JPAとしての取り組み

(1)現地患者団体の安否確認及び救援に関する希望の確認

被災地の難病連との連絡をとり、役員の安否をまず心配したが、数日間は通信網も混乱しており、ただ無事を祈って先方からの連絡を待つしかなかった。数日して役員の消息が分かりはじめたが、被災地では役員自身が避難所で生活をせざるを得ない状況であり、組織としての活動を取り戻すまでは時間がかかることが分かった。各疾病団体も、被災地の会員の消息と安否確認を第一に活動をはじめていた。

(2)全国各地の患者団体からの問い合わせへの対応

震災直後から、全国各地の難病連からは、被災地の状況についての問い合わせや「できることはないか」との申し出が相次いで、とりあえず街頭に出て、支援募金を訴える難病連などもあった。また、疾病団体は、独自に被災地の会員の安否をつかみ、情報発信をはじめた。それぞれの患者団体の情報を交流しあえるようにしながら、被災地の様子を全国に伝える役割とともに、こうした活動が少しでも被災地の患者を励ますことにつながれば、との思いから、JPAのメールニュースで、震災情報を全国にむけて発行することにした。震災から5日後に「JPA震災情報」第1号 を先行。加盟団体の活動の紹介や、被災地難病連役員の消息などを伝えるところから始め、このメールニュースは震災から2か月後の5月12日まで第31号まで発行した。

(3)厚生労働省等からの情報の伝達

厚生労働省は震災直後から、各種通知や情報などをメールやFAXで発信を始めた。JPAも加盟各団体や被災地の役員にそれを転送し続けた。

(4)現地患者団体と各県難病相談支援センターの訪問・激励と実情の調査

震災から1か月半が過ぎた4月末から5月初めにかけて、JPAは北海道難病連の車を借りて、青森から岩手、宮城、福島、茨城の難病連(役員)を訪問し、被災地の現状の視察を行った。福島訪問には国会議員で栃木県難病連会長の玉木朝子衆議院議員も参加した。

この時の調査報告は、JPA総会やホームページ、厚生労働省の研究班会議や2012年2月に東京で開かれたICORD(世界希少・難治疾患関連国際会議)の企画のなかでも報告が行われた。

(5)JPA独自の支援金の募集

支援金については、各加盟団体それぞれが構成員を中心に支援金を集める活動を行っていたので、JPAとしては募金を行わないことにしていたが、被災地の難病連や患者に直接届けてほしいという募金がJPAにも届くようになり、それを預かることとし、岩手県、宮城県、福島県の各難病連に届けた。

(6)難病患者サポート事業

2011年度からJPAが受けた構成労働省の委託事業(2011年度は、委託先は北海道21世紀総合研究所)難病患者サポート事業(2011年度は「患者サポート事業」)の企画として、患者・家族の手記を集め、テキスト化する「患者の声」事業のテーマを急きょ、3.11東日本大震災に関する経験などの手記とし、俳句、短歌なども含めて公募を行い、昨年度末に報告書としてとりまとめた。

2012年度にも、震災をテーマにした「患者の声」のとりまとめを行うべく取組みをすすめている。


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