審査委員よる総評

一般社団法人日本難病・疾病団体協議会(JPA) 代表 伊藤たてお

ご応募いただいた作品はみな胸を打つものばかりで、この中から優劣を付けるなどということは私には到底できないことでした。当初の企画では作品の掲載順序とか最優秀賞と優秀賞を設けようと審査委員会を設けたのですが、企画・編集と審査に当たった者全員が、この状況のなかで書かれた作品というよりも皆さんが体験した恐怖、圧倒的な自然の暴力とも言うべき力、心の叫びや嘆き、悲しみ、絶望、抗議、そして希望を見つけ出そうというそれぞれの努力対して優劣を付けることなどできない、という思いが一致しました。長い短い、上手下手ではなくみんな同じ時間と場所を経験し他ことを確認するものとしてこの事業は行われたことを確認し、応募いただいた作品はすべて収録することとしました。

この大災害に私自身が遭遇したらどうしただろうか、どうなったであろうか、どう自分白身を見つめるのだろうかと、考えることも放棄したいような気持ちに駆られました。本当によくご応募いただき心から感謝申し上げる気持ちでいっぱいです。

審査に当たったものとしてではなく、私個人としては、短詩型がこのすさまじく厳しい情景の描写には適しているように感じ、共感することが大きかったと思いました。

大和田幹雄さんの「砂を食み・・・」なんとリアルな、しかしこれは事実なのかと、心のそこから震える思いでした。

小保内多喜子さんの「着膨れて・・・」この日この季節の被災者にしか分からない情景と思います。

松浦よし子さんは12首の歌を寄せていただきました。「激震の・・・」そのときの情景がまざまざと伝わってきます。「原発の・・・」震災だけではなく、さらにむごい追い打ちが、人類にはまだ制御不能な原子力が引き裂く人のつながりを鋭く告発しています。「子ら下げし・・・」核がもたらしたこどもたちの未来への影響を思うと胸が痛みます。昨年の5月の情景ですが、あれから1年たってさらに大きな影響があることを考えるときに、これは自然災害なんかではない、という強い思いに駆られます。

認定NPO去人 難病のこども支援全国ネットワーク 専務理事 小林信秋

難病のこども支援全国ネットワークでは、難病の子ども達とその家族を対象にしたサマーキャンプを毎年各地で開催しています。宮城県蔵王町でのキャンプはすでに17年間続けられていますが、参加した家族やボランティアのほとんどすべての人が被災していました。

キャンプ1日目の夜、参加者全員で「震災を語る夕べ」という時開か設けられ、それぞれの体験が語られました。

家を流された方からは次のような報告がありました。

「子どもは2階でお昼寝中でした。津波が来るので逃げろと言われ、子どもを抱いて車に乗せ近くの小学校へ逃げました。2階から早く早くと声をかけられ、子どもを抱え階段を登り踊り場で振り返ると津波はもう階段の下まで来ていました。やっとの思いで2階へ上った時、もう踊り場は津波に飲まれ、外を見ると私の車がひっくりかえって流されて行きました。車椅子も吸引器も薬も手帳も何もかも流されました」。

あるお父さんは車で仕事中でした。

「あまりの揺れに驚いて石巻にある会社へ戻りました。途中電線が切れて垂れ下がり火花を散らしていました。解散になって車で帰宅しましたが、私は何故か山側の道を選んでいました。回り道なのですがそれが良かったのです。もう一本の道は渋滞となりそこへ津波が押し寄せました。あの時なぜあの道を選んだのかはわかりませんが、いつもの道で帰るうとしたらここに私はいません」。

聞いていると胸が締め付けられるような話が次々と語られました。皆さんの原稿を拝見しながら、同じような思いをしていました。

ありがとうございます。

ノンフィクションライター 向井承子

未曾有の大震災、続く原発事故。患者・家族の方たちによる手記「あの日の『記憶』を伝えよう」を読ませていただき、作品として優劣をつけるなど無意味と痛感させられた。病気、地域、被災状況はそれぞれ違いながらも、難病患者ゆえに直面せざるを得なかった困難と課題が手記から浮かび上がる。たとえば、人工呼吸器の電源喪失、医薬品の枯渇など即生命にかかわる緊急の訴えから、避難所生活で難病患者に特有のニーズが理解されないばかりの過酷な現実まで。また、電力依存の医療技術、ガソリン依存のクルマ社会、行政や社会システムの硬直化と分断など、現代社会のもろさを引き受けるのも弱者からと知らされる。

心うたれるのは限界状況下で患者・家族、支援者たちが渾身でサポートしあう姿である。歴史には災害が自然のトリアージさながらに弱者を淘汰する光景が残されるが、いくつかの手記は、人は限界まで他者を愛し挺身といえる行動さえ辞さないことを知らされてくれた。だが専門職のかなし過ぎる挺身を問う作品もある。苦難の渦中から届けられた「あの日の『記憶』」が、難病という枠を超え広く社会的弱者の支援のあり方を再考する資料となることを願う。

埼玉県立大学 保健医療福祉学部 社会福祉学科 教授 高畑隆

3.11に未曾有の大震災が起き、まだ記憶も生々しい中での今回の作品集づくりは、難病患者や家族、支援する者にとって、被災下での具体的な課題や対策を明確にしただけでなく、広く社会に対し、難病患者ゆえの被災下の支援の必要性を理解してもらえるものと感じる。

難病患者・家族・支援者の皆さんにとっては生死を分ける貴重な体験、ナラティブな記録であり、気持ちの整理や心の痛みを伴う作業と言える。どの作品にもそのことが感じられ、改めて命の尊さ、家族のつながり・人と人の絆をテーマにした作品が多かったと言える。この貴重な皆さんの生の声を日本や世界の難病患者・家族の被災下での支援と具体的な日常活動と絆と対策につなげ、今後の震災では一人でも多くの大切な命を守る備えとなれば幸いである。

ファイザー株式会社 コミュニティー・リレーション部 喜島智香子

3.11、私たちが予想もしていなかった大震災が起こった。そして、福島の原発事故。テレビではたくさんの映像とともに多くの方々の悲惨な状況が映し出され、また同時に悲痛な人々の声も聞いた。しかし、人工呼吸器をつけているALSやパーキンソン病の患者さんなどの声は、なかなか社会に伝わらなかったのではないかと思う。患者さんの命をつないでいる人工呼吸器の電源が確保することの困難さや常用している医薬品が不足していたという手記は、今後の課題であり、早急な対策が必要であると感じた。

メディアには出て来ない困難な状況が、患者さん本人や家族、そして専門職の克明に記した作品の数々にそれが表れていた。私は一つひとつ作品に目を通していったが、なかなかその手記を読み進めることができなかった。専門職にとっても、あのような状況で自身の家族の安否が気になっていたのにも関わらず、目の前の患者さんをどうしたらよいかという迷い。作品を一つ読んでは涙し、ひとつ読んでは心が痛み、表現や文章はそれぞれであったが、とても評価をつけることの難しさを感じていた。

大変な中、今回、応募していただいた方々に心から感謝いたします。

被災された皆様のご冥福と被災地の一日も早い復興を心からお祈り申し上げます。

おわりに

このたびの東日本大震災により甚大な被害に遭われた皆さまへ、あらためて心よりお見舞いを申し上げます。

今回、被災された難病患者・家族及び患者会、難病家族を支援する医療・介護・福祉に携わる23名の方から、計45作品のご応募をいただきました。

皆様の作品から、被災時・被災直後、とにかく生き延びることに懸命であった様子がひしひしと伝わってきます。そして、被災から1年以上が経過した現在、あの時は気づかなかった日常生活面の様々な課題や大切な人を失った喪失感・空虚感が浮き彫りになってきていると思います。

今後は、時間の経過とともに明らかになる様々な課題を、皆様の「こえ」として集め、震災後のフォローアップをいかに対応するかを検討するための参考としたいと考えております。

今後ともご協力のほど、よろしくお願い致します。

事務局


審査委員

伊藤 たてお 一般社団法人日本難病・疾病団体協議会(JPA)代表
小林 信秋 認定NPO法人難病のこども支援全国ネットワーク
向井 承子 ノンフィクションライター
高畑 隆 埼玉県立大学保健医療福祉学部社会福祉学科教授
喜島 智香子 ファイザー株式会社コミュニティー・リレーション部

編集・構成

一般社団法人日本難病・疾病団体協議会(JPA)
株式会社北海道二十一世紀総合研究所
有限会社フェミックス

編集後記「海を見つめるポスト」

「3.11 あの日の「記憶」を伝えよう」には、未曾有の被害をもたらした東日本大震災において難病患者・家族・支援者・関係者などが体験した出来事、その時の気持ちなどが生々しく記されています。

そして、この冊子には、あの日の「記憶」を風化させずに、後世に伝えていきたいという想いが込められています。その想いを表現するために表紙の写真に選んだのが「海を見つめるポスト」です。あの日、多くの尊い命を奪い、甚大な被害をもたらした大津波からは想像もできないほど穏やかな海をひっそりと見つめるポストは、この「3.11の記憶」を未来へ届けてくれるような気がします。

厚生労働省委託
患者サポート事業 調査・記録事業

「患者・家族のこえ事業 Ⅰ」
3.11 あの日の「記憶」を伝えよう

発行 2012年3月

ページ最上部へ