Interviews

Prof. Kazuhiko Fujisaki

Kazuhiko Fujisaki
Professor of Medical Education Development Center, Gifu University, Japan

Date: March 25, 2009

Place: Medical Education Development Center, Gifu University, Japan

Interviewers: Tateo Ito and Shiori Nagamori

難病連での学生ボランティア経験を経て医学教育のプロ

医師と患者会のより良い関わりを目指して
−学生ボランティアとしての北海道難病連との関わりと医学教育について−

永森

医師としての患者会との関わりについてお聞きしたいのですが、まず今されている お仕事についてお聞かせいただけますか。また、医学教育が、これからの医療に与える影 響というのはどういうものになるとお考えですか?

藤崎

医学教育を専任とする教員というのは、今まではほとんどいなかったのですが、今は7〜8割ぐらいの学校に医学教育の専任部門というのが出来るようになって来ています。日本の医学教育の仕組みは、医療者養成というよりは医学者養成が強く、医学に入って来る学生自身は患者さんの期待に応える良いお医者さんになりたいと思って入って来る人が大半ですが、なかなかそういう芽を伸ばす仕組みがありません。患者さんにとって良い医者というよりは、良い研究者になって行くような仕組みだったのです。良い医療者を養成するためには、それなりの工夫が必要です。海外では1960年代ぐらいから、医療者養成のための仕組みや医学教育の専門家などが作られて来ましたが、日本では全然それが出来ていませんでした。そういう役目をしなければいけないということで、医学教育をするようになりました。

医学教育自体は海外と比べたら20年とか30年とか遅れて来ていましたが、今も10年ぐらい遅れています。それでも大分変わって来ました。今までの医学教育は、面接とか診察の仕方もちゃんと教えられて来なかったし、ローテート研修制度も最低限のレベルだったのです。最近は、以前と比べたらある程度の幅広さは出て来ているし、面接とかのトレーニングも以前と比べたら良くなっているので、若い先生たちのパフォーマンスは以前と比べたらかなり良くなっていると思います。

伊藤

昔は患者さんから見て、ベテランの先生の方が、よく話を聞いてくれるのでいい先生だと言われ、若い先生は頼りないねという話だったのが、今は若い先生の方が親切だねに変わって来ていますよね。

藤崎

昔は結核療養所とか要するに治療法が何もなかった時代には、先生に一生懸命聞くしかなったけれど、それからいろんな検査とかが出てきたら、話をするよりは検査するというようになって来て、だから検査に頼らない古い先生の方がちゃんと聞いてくれる、ちゃんと診察するっていうことが言われるようになりました。しかし今は教育が変わって来て、全く逆転していますよね。

永森

藤崎先生が北大の大学生だった時には、北海道難病連のボランティアに入っていたのですよね?難病連との関わりやサークルの活動などでどういう影響を受けたと思われますか

藤崎

難病連ではレクレーションや小鳩会とかの小さい集まりのお手伝いとか検診をしていました。

僕はあまり医学部は医者になる所っていうイメージがなくって、いわゆる高等職業教育というよりは人間を対象とした人間科学みたいな感じに思っていました。要するにヒューマンサイエンスです。だから生物学的なこともいろいろやるけれども、心理社会学的なこととか人文科学的なことも含めてやるようなイメージが強かったのです。ところが、医学部に入ったら、新人歓迎の講演会で伊藤さんが来て、医学生に期待することみたいな話をされ、医学生は医者になる人だということをいろいろ言われ、医者としてもっともらしく言えるようにならないと患者さんたちに失礼じゃないかみたいな感じを受けたのです。

あちこちでこんなドクターになれよとかをメッセージとして受け取りました。だけどその場その場で役に立つとは限らないわけ。それをどういう形で自分が活かすかということを考えながらやるしかしようがなく、何らかの形で役に立てますっていうことしか言えなかった。でも逆にいうと、医療の問題ってあちこち見ないと全体が見えてこない部分があって、だからいろんな所を見る中で、どんな医療がどんな医師のあり方が良いのだろうというのを考えることが出来たのかな。自由なネットワークっていうか、結構いろんな所に顔を出して、横の繋がりとかいろんな?がりを作っていたよ。

永森

そのころ培ったネットワークが今のお仕事にも当然繋がって来ているのですよね?

藤崎

繋がっている部分は結構多いと思うよ。だから、医学部の先生って、医学部のことしか分からないことが多いのだけれど、私が看護のこととか福祉のこととか分かるようになったのは、看護とか福祉の方とワイワイやっていて、その中で分かって行った事があったから。

伊藤

公衆衛生審議会の難病対策委員会で、今、専門医が育たないと神経内科の先生や医院の先生が嘆いていました。患者会のアンケートでもやっぱり専門医が今非常に少なくなっているという結果が出ています。専門医が必要だということで、専門医教育をという提案もありました。専門医教育も大事だけれど、やっぱり学生のうちに、本当に柔軟なうちに、患者さんたちと一緒にいろんな行事などやボランティアをするとかがいいと思う。

藤崎

難病でいうと、難病研が全国の大学にあって、そこが果たしてきた役割っていうのが結構大きいですよね。だけど今の医療系のサークルの学生は、結局どっちかというと国際医療援助の方に関心があるみたいで、国内はあんまり格好良くないっていうか、目立たないので、難病研の活動をやっている所は落ち込んでしまっています。海外の医療協力とかやっている学生はそれなりには熱心にやっていますが、いわゆる難病研とかの活動はもうほとんどなくなっているのではないかな。

永森

患者さんと接しないまま専門分野を勉強されて専門医になっても・・

藤崎

専門医っていうか、神経内科とか神経難病とかはやっぱり特殊だし、イメージがわかないからね。学生の時にそのようなことがなかったらなかなか接する機会がないと思う。プライマリケアをやりたい人は一杯いるけど、そういうロールモデルになる人が近くにいなかったり、関わり自体がうまく繋がっていないことが大きいのかなという気はする。

伊藤

患者にとっては、臨床の先生も欲しいし基礎をする先生も必要だしというあたりがちょっと悩ましい所だね。

藤崎

基礎も流行り廃りがあり、当時は免疫とかそういうのがメインで、特定疾患とかの研究班がいっぱい立ち上がり、研究費もそっちへ配分という時代だったけれども、今は医療費の関係もあって特定疾患というよりは、糖尿病とか癌とかに配分されています。医学的・生物学的に最先端だったりする基礎研究にはお金がつぎ込まれ、免疫とかである程度難病のことは分かってきたけれど、先へ進みにくい所とか学問的な展開がすぐには難しいような所には、逆に言うとお金が付かなくなっている。

永森

そういう事情で難病患者が頼りに出来る先生がどんどん減って行っているという状況があるわけですね。先生のこれまでの患者会での活動や難病連との関わりの中で印象に残っていることってありますか?

藤崎

患者会支部や新しい難病の会を立ち上げたりとかしたし、脊髄小脳変性症の設立総会とか手伝った覚えがあります。地区難病連とかでも、ある程度財政的に回る仕組みを作ろうなどそういうこともやっていました。

永森

今、医学教育されている中で患者会と何か関わりはありますか?

藤崎

地域の人たちとは模擬患者の活動とか、あるいはこっちが地域へ行ってお話を聞かせてもらう実習とかいろいろあるし、患者さんとの関わりでは、被害者関係やスモンの会などの薬害関係とかはカリキュラムでそういう話を聞く場というような形のものはあります。しかし、難病関係はやっぱり専門医の方を向いているので、関わる機会はあってもおかしくないとは思うけれども、どっちかというとあまりないよね。

伊藤

難病が難しいというのは、診断がついた所からは専門医療になるけれど、どこでその専門の診断に結びつくかという前の段階っていうのはまたこれは違う話だものね。

藤崎

セルフヘルプでの切り口でとかの考え方は医学部の中にはほとんどないものね。医療系では患者会運動やセルフヘルプグループには意味があるのだということを教える所がないし、どこも教えていないし、関心もないっていうことの方が圧倒的に多いと思う。今の若い先生たちの中にはそういうことに関心を持っている人もいないわけじゃないけれども多くはないよね。

永森

ではそういう先生方をどうやったら発見出来るのでしょう?

藤崎

そういう人は、プライマリケアとかそういう所に関心はあるから、学生時代にはそういう機会がなくても医者になってから目覚めたりしていることが多いよね。

永森

でもプライマリケアをやりたい先生は患者会とあんまり関わらないですよね。かかりつけ医が専門医と連携をとって治療とかをしていただいたら・・。

藤崎

関わってもいいと思う。専門の先生と現場のプライマリケアの先生がサポートし合いながら在宅でいう感じで。だって専門医が全部を抱え込むこと自体無理があるし、問題もあるし、専門医として必要な役割は全部抱え込むことじゃないから、それを家庭医にアドバイスしながら返して行って、何か問題があった時にまたというような関係が出来ればいい。一番その患者さんに合った方法を考えられるのはやっぱり一番身近にいるかかりつけ医なのよ。だから一番いいやり方を専門医と一緒に考えてくれる人が必要なのです。

永森

患者会がこれから出来るということは何でしょうね?

藤崎

地に足を付けた活動しかしようがない。地に足を付けた活動でセルフヘルプしながらネットワークを広げて行く。もう1つはヘルスリテラシーじゃないけれど、血友病の人たちがリテラシーを上げるために自分たちでやっているワークショップっていうか、患者学みたいな形で、自立していく方向をどう目指すかということですよね。だからセルフヘルプの精度というかレベルを上げて行くこと。ただ要求をまとめてというだけではなくて、自分たちが自分たちの力で専門家に依存しない形で活動して行くということですね。

伊藤

最近その患者学ということを言う人が出て来ていますが、本当の意味での患者学みたいなものをやるという専門家は出て来ないのかな。

藤崎

障害者学の方がある意味では進んで来たかもしれないけれど、難病とか患者学の方は遅れているかもしれない。医学のことは専門家に任せればいいけど、医療とか生き方の問題は別に専門家に任さなくていいのだから。

伊藤

そこまで分化されてないっていうか、自己決定しろとか自己選択しろと言われても今の状況の中では選択のしようがないという所にあるんだね。

藤崎

患者会や患者の中で、どうやったら調子が悪い時を乗り越えるとか、精神的に波があるのはあって当たり前だけど、それをどういうふうに自己管理してお互いに支え合うかとか、あるいは病気のことでの家族との間の調整をどうするかっていうのは、みんな同じような共通の部分がある。それは別に医学的な専門性とは関係のない中で考えて行き、自分たちでノウハウをシェアしあえる部分ではないかな。溜まっているものを吐き出すことは出来るけれど、それだけでは駄目だと思う。その上で自分たちが患者として生きていく、生きざるを得ないのだから、患者を生きていく上の術をサイエンスとしてちゃんと積み重ね、それを技法として伝え育てていく作業というのが必要だと思うよ

永森

そういう時期かもしれないですね。患者同士で交流をして、それぞれの体験を話し合う中で、病気を持ちながら自分で生きていく術を見つけることですね。

藤崎

病気を抱えながら、患者として大成する道っていうか、おかしいけどその人らしくあるということなんです。別に患者というラベルを大きく大層にする必要はないけれども、ただやっぱりそういうものを抱えざるを得ないわけだから、それをやりながら人生をエンジョイ出来るように、その人なりの働き方やその人なりの生活の仕方を見つけること。その中にみんなで共有出来るものはあるだろうと思う。

永森

みんな医師に期待しすぎている面も結構あるなということを今日の話を聞きながら思いました。医師に出来ること、患者に出来ること、福祉関係者に出来ることなどをある程度整理して、そしてハッピーに暮らして行くことですね。

藤崎

そういう点では対等の関係で、あなたこれやってと言ったり、どこまでは出来るはずというのを教えてもらったり、じゃあ出来る範囲で頑張ってね、僕らは僕らで頑張るからということになりますね。

伊藤

しかし現実に今の病院の仕組みや病棟の仕組みの中ではなかなか難しいね。

藤崎

病院という所自体が患者を無能力化して依存的にする仕組みがあるし、依存的にした方が専門家はコントロールしやすいからね。患者が自立的になると1人ひとりにちゃんと向き合わなきゃ行けなくなるわけだから、面倒くさいし具合も悪い。そういう中でどんどんかすめ取られてしまっている部分が多かったりしている。若い人たちを中心にそういうのはおかしいということを問い直し、どうあるかを考えて行かないといけないのかなと思います。

今日は長時間、ありがとうございました。

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