患者本人による手記~被災地の家族を想って~

私の東日本大震災 青沼三郎

我が家

あの未曾有の東日本大震災から8ヶ月、今では、何事もなかったように普通の生活が出来るようになったこの頃…。

我が家(横浜市)3月11日は出かけていました。テーブルの上とTELの子機が水浸し(熱帯魚の水槽からの水が飛び出した為)。被害といったら、この程度で済みました。

我が故郷

宮城県栗原市は我が故郷です。栗原市は内陸ですが、日頃から地震の多い市です。3月11日の大震災、4月7日の余震と2回も遭遇、特に4月7日の余震では実家も大変な被害にあい、ライフラインの電気、ガス、水道等、また灯油、すべてが使用出来ない日々が続いたそうで、先祖代々の墓石にも破損が多く出たようです。特に海に近い方は被害がひどかっかようです。でも幸いにも家族には怪我もなく、町内の方々も無事だったようです。遠く離れて、しばらく連絡もとれず、心配で!!心配で!!

4月25日、東北新幹線が仙台まで開通したという報道が流れ、行ける所までと、新幹線に乗車、早く「この目」で我が町栗原市を見たいとの思いで…。車窓から見る風景はブルーシートを被った屋根瓦ばかり。思っていた事が的中、那須塩原駅辺りから動く様子がおかしくなり、郡山駅で新幹線は止まってしまいました。そこから、数十年ぶりに常磐線に乗り仙台駅へ。常磐線に乗車している間は不安でいっぱいでした。仙台駅から東北本線に乗り一時間、我が故郷「瀬峰」に着きました。昼に東京駅を出発して9時間(午後9時)やっと、やっと辿り着きました。故郷がこんなにも遠く感じた一日でした。乗り換えを2回も体験しながらも「東北魂」で乗り越えられた身体障がい者の私です。不安な日々を過ごしている被害にあった実家の家族が暖かく迎えてくれた事に感謝です。大変な思いをしながらも訪問出来て本当によかったです。実家の兄嫁の姪(女川在往)はじめ3名が津波の被害を受け、うち1名は発見されました。が、残り2名は未だ行方不明です。一日も早く発見される事を心より祈っています。

私にできること

ところで身体障がい者の私でも、何かお手伝い(ボランティア)出来ることがないかと葛藤の日々を過ごしていました。そんな気持ちから「宮城県災害本部」へ救援金として、30万円送らせてもらいました。

これからの被災地は激寒の日々、仮設住宅に入所されている被災地の皆様にはつらい日々が続く事でしょうが、どうぞお身体をご自愛ください。

一日も早い復興を祈念しています。

【名前】
青沼三郎(あおぬまさぶろう)
【年齢】
72歳
【病名】
後縦靭帯骨化症

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