3. 寄稿
「大震災で経験したこと・・・・・・・お礼と報告」
仙台ポリオの会 秋山喜弘(宮城県石巻市雄勝町水浜在住)
この度は、仙台ポリオの会をはじめ全国のポリオ会の皆様に多大なご心配をおかけしたばかりか、過分なお見舞まで頂戴し誠にありがとうございます。
東日本大震災の日から高台の親戚宅に身をよせていましたが、6月初めに応急仮設住宅「水浜団地」にうつり、おかげさまで元気にくらしております。
多くの被災者の体験をみききし、生死の境は紙一重であることを実感しました。私の場合も、震災発生の時刻が参列していた地元の中学校の卒業式のさなかだったら、あるいは着替えや補装具装着にてまどる夜間だったら状況は一変したことでしょう。「明日はわが身」どころの話ではありません。
私はポリオによって障碍(がい)者になったおかげ?で、人様より「(今はやりの)想定外の事態」が頻発する人生を送ってきましたが、今回の遭難はまた格別の「事件」でありまして、日々衝撃と発見の連続でした。
3月11日午後2時46分にはじまった大地震発生数分後の「大津波警報」による避難本番!(2日前の警報をはじめ空振りにおわることが多かったので)、高台からみた悪夢のような光景と津波がひいたあとの見るも無残な古里の姿、そして三月近くの避難所生活・・・・。
家を流され仕事をなくした人々が文字どおり肩を寄せあう避難所は、訪れた人が驚くほどの「元気で明るい水浜避難所」でしたが、集団生活ですから、実はいろいろありました。途中から事務局を任され、身心共にひよわな私は少々疲れました。
しかし、停年退職以来久々に「仕事をした」充実感があり、貴重な経験もたくさんしました。連日坂道や階段を歩くうち、運動不足で弱った足腰がいくらか強くなりました。なかでも、人の情けが身にしみ「生きていて良かった」と実感できたのは、何よりありがたいことです。大震災後、日頃お世話になっている方々ばかりか、それまで一面識もなかった多数の方々からあたたかいご支援をいただいたことを、生涯忘れることは出来ません。一方、「やっぱり」という以外にない場面も多々ありました。
その一つは、このような「非常の時」、障碍者は行政当局はじめ社会の視野から外れること。障碍者団体のリーダーでさえ、自分のことに汲々として仲間のことを忘れてしまったようなので仕方がないかも知れません。水浜避難所(本部)は昔保育所だった建物で、トイレの出入口には段差があり小さな便器はすべて和式。私が「和式の便器にかぶせるタイプのポータブルトイレを取りつけたらどうか」と提案したら説明不足のせいか、ある所から室内用の立派なもの(職人以外取り付け不可能・編者注)が数台とどきました。
二つめは、マスコミの取材の好い加減さ。NHKの取材に、「障碍者は人一倍苦労しながら生きたあげく、こういう災害の時は真っ先に死ななければならない」(今回の震災でも、障碍者の死亡率は障碍のない人の数倍だったそうですね)と持論を展開し・福祉行政を批判したくだりが見事にカットされたのはともかく、美談仕立ての筋書きにそって「まわりの人に助けられて逃げました」という事実に反するコメントを付け加えられたのは許せません。(日頃いろいろ支えていただいているのは事実ですが)
あるいは、民放テレビクルーの傍若無入な行動。診察中の被災者にいきなりカメラを向けるなどは朝飯前らしい。旧石巻市内の避難所では、トラブル多発のためマスコミの取材を拒否することにした避難所が何か所かあったそうです。震災で親をなくした子供にカメラを突きつけ「津波こわかった?」と無神経きわまる質問をする者もいたと聞き、怒りに震えました。
大新聞各社の記者も、石巻からハイヤー・タクシーで乗りつけました。「避難所生活はどうでしたか」などと幼稚なインタビューをして、私に「もう少し考えて質問したらどうか」と皮肉られ「すみません」と謝る(すなおですね)若手の記者もいました。彼らは、若くて未熟という以上に、人生や社会についてあまりに不勉強なのだと思います。
三つめは「お役所仕事」の実体をいやというほど目にしたこと。役所嫌いの私は、市役所職員やNTT社員、はては視察にきた国土交通省高官にまでつっかかりました。避難所で見聞きした「お役所仕事」の例。電気も水道も復旧していない避難所に「全自動洗濯機」を3台も支給する鈍感さ、津波によって水道施設が破壊されて断水になった被災民に「世帯ごとに『水道使用を停止する』旨手続きせよ」という非情な通達(強硬に抗議したら、その日の午後に撤回。「朝令暮改」の上をゆく!)等、枚挙に暇がありません。県や市の職員を引き連れてご視察においでの高官の「そこの人、クレームばかり言ってないで」とか「この震災は想定外」のお言葉は、役人の特権意識と「上から目線」の典型でしょう。つぶさに避難民の窮状を見、要望を聴くための視察であるはずなのに「クレームばかり」とは何ごとでしょうか。また、869年の貞観地震・津波などをもとに巨大地震・津波の発生を警告する情報を知りえた立場であったのに、「想定外」とは白々しい。おおかた、東京電力などと「談合」して握りつぶしたんでしょうが。
お役人さまは、国の官僚から田舎町の役場職員にいたるまで、変な特権意識をもち、自分たちを税金で食わせている国民、市民を下に見、ばかにしているのでしょう。役人は法令・規則の解釈と運用を飯の種にしていますが、法令の根本であり最高法規である日本国憲法に「すべて公務員は全体の奉仕者である」と明記してあるのを「頭脳明晰」な彼らが知らないはずがない。
仙台ポリオの会の皆さんはとくとご存じですが、私は知る人ぞ知る短気者なので避難所でも、「自分のためじゃない、避難所の皆さんのためだ」を念頭に、何かというと規則、前例、予算をたてに杓子定規の応対をする役所の職員とたびたびやりあいました。
高級官僚はいざ知らず、今度の震災後、市や町の職員が一所懸命務めていることは認めます。なかには、私以上の被害を受けた被災者でありながら、家庭をかえりみず不眠不休でがんばっている職員も少なくないし、公務員の立場をこえて被災者の声に耳を傾けようとする職員もいます。ま、あれこれ考えると「お役所仕事」の元凶は、世界に冠たる?官僚組織あるいは「国民を幸福にしない日本というシステム」(カレル・ヴァン・ウオルフレンの著書名・編者注)という結論になるようです。
四つめ。世の中にはいろいろな人がいる、というあたりまえのことを、思い知りました。あのような極限に近い状況になると、人はふだん隠している本性をむきだしにするのですね。今まで「いい人だ」と思っていた人が利己的で無責任な人物だったり、日頃目立たない人が他人のために尽くしたり、己の世間知らずを思い知らされることばかりでした。
津波で家を壊され住む家がなくなったのは大事件でしたが、人生の晩年に大切なことを学べたのは、あながちマイナスばかりではない、と考えるようになりました。そして、千年に一回、数百年に一回と言われるこの大津波を奇貨として、これからの残り少ない人生に活かすべきだと思います。
おわりに、あらためて皆様のご厚情に感謝し、この夏の猛暑に負けず健康でお過ごしになることを心から願うものです。