7. 第2回震災アンケートの結果から(2012年)

国・県・市町村へ要望したいこと

仮設住宅に入らず子どもたちの家を廻りながら自宅の復旧に取りかかった状況を評価して欲しい。同じような人が数多く居ると思う。

放射能で汚染されている食品類の放射性物質測定をあらゆる食品に行い信用できる情報が欲しい。

「やる気」が全く見られない。とりわけ仙台市長の存在は何か、何をしたいのか?

現在集落ごとの高台移転を進めているが、例によって選択肢がなく「(浸水した)自分の土地に住みたい」などの希望が無視されている。この国では実施不可能なことかもしれないが、震災復興の事業を被災地・被災者のために推進して欲しい。

現実に行われているのは、居住者の住みやすさなど度外視した大手建築メーカーのための仮設住宅建設、誰がどこで決めたのか「まず高台ありきで他への選択肢の無い集団移転事業(高台移転)等々・・・・。この流れの中に障碍者への視点など入る余地は無い。津波から逃げ遅れ、避難所では置き去り。仮設住宅でも、名ばかりのバリアフリーの狭い部屋で、不自由きわまりない生活にいつまで耐えなければならないのか、不安に感じている人も多いのでは無いか。

車椅子用トイレのある身障者の避難所を用意して欲しい。

沿岸部から内陸への道路を増やす。等間隔で高い建物を車椅子で上れるようスロープを付けて作る。堤防は何年も要するが・・・道路や建物は短期。浸水域に家を再建する人のためにも急務。

歩行不自由者に対しての配慮(特に自動車に頼っている障害のある人へのガソリンの供給を緊急時に確保して欲しい)

収入減のため生活保護を考えるが、放送受信料減免(家内がパートをやっているため該当せず)障害者手帳の再審査の条件(基準の格上げ)

毎日の政治の報道に腹が立つ。仮設住宅や店舗の敷地内に仮設バリアフリートイレを設置すべきです。

福島原発について

広島の原爆、元を正せば同じ原理。狭い日本に五十数基、非常時には逃げ場が無い。まして地震国、全く必要ない。昨年も非常時でありながら計画停電も無く県内は過ごせたと思う。一人一人が自覚して節電すれば何ら原子力など必要ない。昔を思い出して欲しい、あまりに甘えきっている。

政官業とマスコミが結託して国民を欺き続けた挙げ句の、起こるべくして起こった事故である。又、無知と無関心を装いながら欺瞞を許し、毒入りの果実を貪ってきた我々国民の責任も大きい。とくに、過疎地に立地する原発が電力に胡座をかいて巨大な生産や消費を謳歌しながら、いざ事故が起きると瓦礫の受け入れを拒否するなど差別意識を露骨に示す都会の人々は許せない。NIMBY(私の庭にはいらない)と言うそうだが、それならば「絆」などという空々しい言葉など無用。

閑話休題。地震と火山の巣のような狭い国土に五十数基原発を建設し運転する危険性を隠蔽して「安全神話」をでっちあげ、原子力の優位性(経済性その他)を宣伝して国民を騙しあるいは黙らせ、想定される災害の備えを怠り、いざ大事故が起きると、やっぱり「まず隠蔽」そして責任逃れ。しかも、事故の検証もないままに再稼働を画策する。

いやはや、これがこの国のほんとの姿ですか。そして、私たちの未来ですか。
この事故により放射能の怖さを時間の経過とともに汚染情報の増加、連日山菜・穀物・野菜etc・・・。不安の日々です。ましてやそれの伴う風評被害等々・・・。東京電力・そして行政にはしっかりした食物に対する信用できる情報を確実に流して欲しい。又、各方面の風評被害に対する保証対策を必ず実行して欲しいと切に思います。

当然原発は「廃止」の考えです。

高齢者なので問題にしていません。ただ子どもに対する影響は問題です。

個々人でどの程度の注意が必要か教えて欲しい。

原発は基本的反対です。大飯原発再稼働は福島での原発事故後の凄惨さを無視している。今さえ良ければと言う考えは安易すぎる。

自分ではどうすることも出来ないが、安全第一を基本に対策を考えて欲しい。原発廃止。ただ電力使用を減らす工夫も同時に考えなければならない。オール電化はダメ。街の明るさも星空観察の時のように少し減らす工夫。

線量計を全世帯に無償貸与し?広域・精密計測を継続実施すべきです(and公開)

避難路・方法等について

単身世帯なのでいつもタクシーを使う。避難する場所が決まっていても、タクシーがくることは出来ないです。

津波の経験は自分たちも親たちもなかった。今回の教訓を風化させないようにしていく。

どこに避難して良いのか不安である(特に障がい者なので車椅子トイレの使用できる所)

名取・閖上の方では新たに避難路(徒歩?)を作る計画がありますが東部道路までのル ートです。それから先が渋滞するのは前と変わりありません。4月7日の大きな地震の時、幸いにも津波は来ませんでしたが、1年過ぎた今も内陸へ入る道は同じ数のままです。車でしか逃げられない身の不安。

避難するにも障害があると限界があるし、せめて情報の確保をしっかりして、慌てないよう行動したいものです。

自分を含め家族三人が在宅の時地震が起きた。私と妻は2階の自室に居たが、揺れがおさまりかけたとき階下に降り、2台の車に分乗して高台の指定避難場所(閉校して小学校跡地)に避難した。過疎の僻地なので坂道の細い避難路は対向車も無く、自宅から2〜3分で到着した。

高齢者が多い地区であるが、高齢を理由に逃げ遅れ犠牲になった人は皆無であった。また、車椅子の障碍者(1名)も無事避難したが、避難所暮らしは大変だったと思う。(3〜4日後、遠方の息子宅へ二次避難)後日、NHKの取材に対し「ポリオの会の皆さん、私は元気です」と話した後「障碍者は、人一倍苦労しながら生きざるをえない上に、こういう災害が起きると真っ先に死ななければならない(この震災でも障碍者の死亡率は健常者の倍以上)といい、続けて持論の障害者福祉を批判する下りが見事にカットされ、代わりに「周りの人に助けられて避難した」との事実に反するナレーションが付け加えられました。大方、障碍者は自力では何も出来ないという先入観を元に、誰かに助けられて逃げたという美談を仕立てたかったのだろう。

杖2本での歩行がやっと、車椅子も使用するが現状では避難できないので、備蓄が精 一杯。お金が足りない。

介護や医療について

ヘルパーさんは良くしてくれます。整形の先生も良く話を聞いてくれます。

自分の場合は、震災後は特に必要なし。

患者中心の医療と介護システムの構築が必要。

避難したのは親戚宅で、あまり不自由なことも無く過ごしたが、茶の間で雑魚寝する時、足が冷えて眠れないことがあり、また、夜間何度も小用に起きたが、暗い廊下を往復するのが大変と言えば大変だった。高血圧と糖尿病があり定期的に通院して経過を観察していたのだが、震災後2ヶ月間通院も投薬も無い上に、でたらめな食生活をしていたため病状が悪化したが、巡回診療で的確な診断を受け治療を開始した結果、安定した。被災地の障碍者は避難所等でどのように過ごしていたのだろう。自分の地区の避難所のことに追われ考える余裕が無かった。

日本経済を考えると不安

現在飲んでいる薬を一日でも休むと調子が悪いので手に入らなくなった時のことが心配。

要援護者として消防署に登録しているものの、実際どれだけ助けに来てくれるのか不安です。

介護判定が要支援2となり生活の見直しを始めることが多少できるかと思う。

補装具の全般について

今付けている補装具は合っています。

震災後に新調しました。

日本は40年遅れている。当事者の意見の発信と反映。

年齢とともに身体に変化があり不具合になりやすい。

早めの修理・新作を心がけるようにしています。使用できない時のための車椅子、松葉杖の確保が必要。

東北厚生興業㈱に長い年月お願いしているので相談できます。

義援金や各種補助金の申請について

義援金について各区自治体により差があると思う。

全く申請の方法が周知されていない。

家主さんがとなりなので、色々世話になっています。

保険金の申請について

6月におりました。

自分で考えるべきだ。

保険会社が調査していった。受取額については素直に受け取った。

直接保険会社に相談しています。

車にも震災保険をと申し上げたい。

年金の申請について

まだ何も申請していないので(障害年金も)早くしたい。

当事者意識を持って望むべきだ(??廃止になるかも)

若林区役所年金課に出向き相談しています。

年金の申請に関わるチェックシートがあると便利だと思う。

自由記述

個人的な疑問なんですが・・・今回初めて介護保険を利用しようと思い区役所窓口に行った時のこと。介護保険(65歳〜)利用で補装具は1割負担で購入でき松葉杖はレンタルになるとのことでした。今までは松葉杖は自費購入していましたが介護保険を使うとレンタルになるというのは納得がいきません。因みに視力障害者の白杖は1割負担で購入出来るようです。松葉杖は私にとって体の一部であり、補装具だけで歩けるのならどんなに楽しいことか!私の体では補装具だけでは歩くことが出来ないのです。私の足が悪く右足機能全廃、今では左足も弱くなってきているので松葉杖に頼るしかなく60年間松葉杖の生活でした。国の規則とは言え個人個人の身体の状況を見て判断して欲しいのです。規則も改善すべきでは無いでしょうか!

両手に杖をついているので何も持てず。給水車から水をもらっても家の中に運ぶのが大変でした。

各市町村に障がい者の避難生活が出来る施設を整備して欲しい。一般の避難所では大変な思いをするし気遣いして夜も眠れない。私は5日目が限界で二人の娘の家を行ったり来たり、良く生活したと思う。感謝・感謝です。

「障がい者」自身の「発憤と自覚」を切に望みます。

原発を始め「有識者」は何を考えどのように行動しているのか、全く力不足を実感します。結局、私もそうですが自分の保身だけですね。ただし、「有識者」はそれで“良い”「善い」のかな。「罪なき者は石を打て」社会構造のシステム改善が必要です。震災前に災害に耐えるように家をリフォームローン使用し改修とバリアフリーに直しましたので今回の震災では被害は少ないです。こう言う考えを持った方にも政府は何らかの補助を考えて欲しいと思っています。

平成23年3月11日の震災時はマンション5階に住んでいましたが、エレベーターは即止まり部屋より一歩も避難することは出来ませんでした。幸いにも地震が収まり松葉杖にすがり必死で十分ぐらいかかり階段を下りまして地面にたどり着きました。ところがエレベーターが回復したのが1週間後、部屋には戻れず市外に住んでいる兄弟の世話になりました。今後前回のような地震が起これば間違いなく高齢化が進んでいますので避難生活は出来ないと覚悟しています。

重度の障害があり一人暮らしの友人、地震後にエレベーターが止まり、電気が復旧するまで1週間、職場の同僚の世話になった。水が出ない時なのでとりわけトイレ、食事で申し訳ない思いをしたそうだ。普段強い人なのだが「障がい者はこうなると何も出来ないんだな」と言った一言が耳に残っている。障がい者グループホームのような所で・・・介助をお願いして暮らしたいと思うようになった。

生まれてすぐに小児マヒにかかり苦しみの生活の中で強くは生きてきました。十年前からの腰から足にかけての痛みは日ごとに増し、左足が6㎝短いための骨盤の傾きによる背骨の変形からくる痛みだということでした。痛みで悩む病院通いが続くなか、東日本大震災で全壊した家の壁土運びや家具の移動により出した“火事場の馬鹿力”のためか痛みから昨年12月入院。今年1月手術となり、結果として、幸い痛みは消えました。しかし、足全般、腰から下の麻痺としびれが全然変わらずむしろ進行しているのでは無いかと思うぐらい辛く、様々なリハビリを工夫してやっています。杖2本歩行、特に右足で体を支えるのが旨く出来ない。整形の先生も麻痺を少しでも元に戻すには時間が掛かると言っています。気長にリハビリに頑張りたいと思います。

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