インタビュー
京都難病連 元事務局長 加納正雄氏
加納 正雄(かのう まさお)氏
京都難病連 元事務局長
インタビュー日:2009年3月24日
進行役:伊藤たてお
我が子の病気がきっかけで京都難病連結成
伊藤 |
今、日本患者運動史(註・現日本の患者会)を編纂しているのですが、その中の年表編、資料編についてインタビュー、座談会というのも取り組むことになっていまして、主に古い患者運動の方々にお尋ねして回っています。加納さんが患者会に入った動機、京都難病連の結成などについて教えてください。 |
加納 |
1972年に子どもがネフローゼで大学病院に入院していたのですが、大変な状態の中で同じ病気のいろいろなお母さん方とお話する機会がありました。当時医療費の患者負担が無茶苦茶大変で、患者会の親の会を作ろうと思った理由の1つにお金のことがあります。京都でも前から結成準備を始めていたのですが、1972年2月に全国腎炎ネフローゼを守る会の結成大会がありそれに女房が参加して、帰って来てから3月に京都腎炎ネフローゼ児を守る会を立ち上げました。 京都難病連は、1973年ぐらいからスモンの会の坂本さんが代表で、ベーチェット病友の会、筋無力症、リウマチ、京腎協、筋ジス、腎炎ネフローゼの7つの団体で準備会を始めて、1974年8月25日に結成しました。 |
伊藤 |
当時ネフローゼっていうのは子どもの病気にとって代表的な難病だったと思うのですが、その頃そういう病気を抱えたご家族は、家庭の状況、経済的な問題含めてこれ一般的にどういう状況だったのですか? |
加納 |
医療費、病院での付き添い(子どもが親から切り離されて治療、検査、処置を受けるという不安な状態におかれる)、教育などが問題でした。 病院では医療側の言いなりになるしかないし、教育に関しては教育に熱心な親の会とか先生方に聞いても、まるっきり無関心っていうか、知らないわけです。やっぱり病気の子どものことは病気の子どもを持つ親が動かないとどこも頼る所がないと思いました。教育委員会に行って、ニュースを作って、病院の中のお母さん方に情報を流しながら運動もしました。 団体活動には、運営・活動・運動・闘争と4つの型がありますが、私の今までの経験から、通常患者会はだいたい運営と活動ぐらいで、運動までは行かないと思っています。 |
伊藤 |
それもテーマなんです。患者会の活動と患者運動っていうのはどう違うのでしょうか?加納さんが言っている4つの型は、運営の形態の違いなのか、発展過程の違いなのか、量的な違いなのか、あるいは質的な違いなのかということについてはどういう見解を持っておられますか? |
加納 |
患者団体が集まって何をするのかと言ったら、普通の一患者会で多いのは、「伊藤さんどうしてる?先生は?薬は?」など療養生活上の悩みを中心に交換・交流して、自分のより望ましい療養生活を送るために、そういう仲間の連帯のようなものが多いと思うのですよ。私はこれが患者会のベースになっていると思います。療養生活していく中で先程言ったように、子どもの教育が保障されてないとか医療費がめちゃくちゃかかるとか、特定疾患ならこういう人が助成されるけども、されない疾患があるとか、これはやっぱり声をあげて行かなければならないと思います。その声を上げるというのはある意味では活動であり運動であると思うし、患者会の運営とは、その中でみんなが仲良くなって行くということ、これも大事なことだと思います。 患者会の中でも、今の仕組み、制度とか施策に対してぶつかる部分があるわけですね。それは否応なしに強弱があって、いや、私はもうこれでもいいですよと、お上のおっしゃる通りで我慢しますという人もたくさんいるし、非常に怒りを持つ人もいます。その場合は、患者会の役員、上に立つ人がそこのバランスを取りに行くしかないですね。 京都難病連でも事務局長をしていましたが、こういうことをしたいといろいろ思って、そのため何かのきっかけを作ろうとするわけです。でも「これが大事だからみんなやろうよ。」ということを私はしなかったです。みんなの反応を見て待つわけ。待つ方なんですよ。10いくつの加盟団体の中で、それぞれに患者の思い、こうして欲しいという要求、それを運動に結びつけるようなものがありますよね、それを如何にして各患者会が汲み上げて来て、難病連にそれが上がって来て、みんなの議論で、「そうだね、これはやっぱりやろう。」というふうにならないかということを、20年間ずーっと望んで来ましたがなかなか出来なかったです。 |
伊藤 |
加納さんは患者会に30年以上、40年近くに亘って関わって来られましたが、そういう中で心に残ったことがあれば教えてください。 |
加納 |
京都難病連は30周年を迎えるに当たり、今後どうするかということをみんなで議論しました。患者会のない難病患者、患者家族さんたちが府内にもたくさん潜在しているはずです。患者会を作った者たちだけで、何かこうああだこうだとやっていていいのか、そこを考えなければならない、自分たちの患者会のことも大事だ、自分が大事だけども、それだけでないことも少しは考えようという意味で、難病相談センターを始めたというのが大きなことだったと思っています。 |
伊藤 |
今日は貴重なお話をありがとうございました。 |